×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

石井舞ちゃん行方不明事件

            




  行方不明になった石井舞ちゃん


 1991年7月25日、福島県船引町で建設業を営む石井賢一さんの長女石井舞ちゃん(当時7)が深夜行方不明なる事件が発生した。
 事件から10年以上も経過した2013年5月現在も解決の糸口も見えない未解決事件である。

 この船引町は福島県田村市にある小さな町である。
 原発事故で立ち入り禁止になった大熊町の西に位置しており、震災では一部が避難区域に指定された場所でもある。
 同じ福島県民である管理人としては民主党の議員玄場光一郎の実家である蔵元があるのが印象的な町だ。
 こののどかな農村で事件は起きた。


 この夜、家には賢一さんと妻ヨシ子さん、夫妻の長男、次男、舞ちゃん、それから賢一さんの両親、賢一さんの姪(当時17歳)、そして賢一さんの建築会社の従業員で姪の恋人のK(当時20歳)の9人の他、
ヨシ子さんの友人の子供2人(女の子)が泊まりに来ていたという。

 昼過ぎ、姪は実家のある郡山市に出かけており、その晩家にはいなかった。
 夕方、住み込み従業員のKの部屋で舞ちゃんたちはテレビゲームをして遊んでいた。
 午後9時ごろ、舞ちゃんの祖父母は1階洋間のKの部屋の電気が消えるのを見た。また、同じ頃、2階の部屋で賢一さんは長男・次男が寝始めた。
 午後9時20分頃、祖父母はタクシーを呼んで、孫たちを置いてカラオケスナックに行った。この時、1階玄関を施錠した。
 午後9時30分ごろ、舞ちゃんと遊びに来ていた2人の女の子の3人が川の字となって、2階の洋間で寝た。両親や兄弟の眠る隣の部屋である。
 午後10時30分頃、ヨシ子さんが舞ちゃんの寝ている部屋をのぞき、タオルケットを掛け直した。
 その後、2階の洗面所を使っていると、「バタン」と1階の玄関扉が閉まる音がしたので、窓から外を見るとKが南の方に歩いていくのを目撃した。ヨシ子さんはたいして気にも留めず、1階にある浴室で入浴した。
 しばらくすると、再びドアの閉まる音がして、何者かが「パタパタ」と階段を上がる音がした。そしてヨシ子さんは賢一さんや長男らの眠る部屋に行き、横になった。
 翌午前2時、祖父母がカラオケスナックから帰ってくる。この時、1階の玄関のドアはなぜか開いていたがあまり疑問にも思わず施錠した。
 祖父母は2階にやってきて「Kがいない」と賢一さんを起こすが、「明日聞くから」とまた寝てしまった。
 午前5時20分、舞ちゃんと一緒に寝ていた子供が目を覚ますと舞ちゃんの姿がなかった。一家、パニックとなる。
 午前6時30分、Kが外出先から戻ってくる。Kの話によると「夜10時半ごろ、友人に会うため郡山に向かった。船引駅に着くと、最終電車が出たばかりだったので、タクシーを拾って行った。しかし、郡山にその友人は現れず、始発で帰ってきた」というものだった。
 いかにもとってつけたようないいわけだが、こんな言い訳をすれば疑ってくれと言ってるようなものだとも言える。  
 当然Kはその後、最重要容疑者として2週間に渡る取り調べを受けることになったが、解放されている。ちなみに郡山までKを乗せたというタクシー運転手も現れ、証言した。


 現場検証の結果この家に住む人間以外の指紋やDNAは発見されず内部犯行が疑われた。
 こうしたことから、祖父母、両親、Kなどが揃って疑われることになった。
 とりわけ、疑われたのは外出していたKと最後の目撃者であるヨシ子さんである。また、警察犬を捜査に導入したところ、玄関先で立ち止まってしまった。これは車で連れ去られたことを意味する。
 当日の午後11時前には石井さん宅の前の道路から東へ少し離れたところで白い車が目撃されている。この車は故障車のようにボンネットが開かれており、翌朝には消えていた。
 石井家周辺の車の所有者はひとりひとりあたっていったが、この白い車だけは持ち主不明であり、町の人間ではないと思われた。

 だが父親であり賢一氏は住み込みのKを強く疑っていたようである。
 Kは姪と恋人であったとはいえ仲は必ずしもよいものではなく、丁度この日Kと姪は旅行にいくはずであったのだが、賢一氏が用事を言いつけたためにキャンセルになっていたという。
 恋人との旅行を邪魔されてKが賢一氏を恨んでいたのではないかと賢一氏は考えたのである。
 またKは賢一氏にシンナーを吸っているところを何度か見つかっており情緒不安定なところもあることが疑いを濃くしていた。

 舞ちゃんが行方不明となってから2ヶ月後、母親であるヨシ子さんは当時遊びに来ていた女の子から 決定的証言を聞き出すことに成功した。
 その内容は当日の夕方、一緒にテレビゲームをしていた時にKが舞ちゃんに「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と言っていというものだ。
 両親はその証言を警察でも話したが、幼児から証言を誘導した「無理に引き出させたもの」として相手にされなかった。
 2ケ月後突然引き出された小学生の証言では裁判を維持することは難しい。
 残念ながら警察の判断は正しいと言わざるをえないだろう。

 事件から半年以上がたち、賢一さんは従業員10人の再就職を決め、会社をたたんだ。
 舞ちゃん捜索に集中するためである。賢一さんはもちろんKをマークしていた。彼に四六時中つきまとったり、Kの家のまわりにわざと舞ちゃんの行方の情報提供を求めるポスターを貼ったりした。
 しかし、一年が過ぎ、二年が過ぎても具体的な手がかりはなにも掴むことが出来ず、とうとう賢一さんはKの顔を見るのも嫌になり、尾行するのをやめたという。


 Kは暴走族出身であり、その彼がタクシーで郡山にいったというのは不審である。
 だが何一つ物証もなく、事件は未解決のまま2006年7月24日公訴時効を迎えた。
 祖父母を含めた三世帯の家族が住み、他人の友人まで泊りに来ていたという状況でたった一人の娘が消えたというシチュエーションにマスコミでも随分と取り上げられ、取材も訪れたが
 いつしか忘れさられていった。
 

 生きていれば30歳近い年齢になる舞ちゃんが生存している可能性は限りなく低い。
 しかし万が一、情報があれば


 福島県田村警察署まで提供をいただきたい。メールアドレス:joho@police.pref.fukushima.jp



明確な容疑者がいながら未解決になった未解決事件の中でも特殊な事例である。

 


戻る