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ピリ・レイスの地図





オーパーツと言えばまず鉄板で名前がのぼるのがこのピリ・レイスの地図である。
これは南山宏氏と高橋克彦氏の対談集である「超古代文明論」でも語られており、かつて氷に閉ざされるまえの南極が描かれていると伝えられる。


この地図はオスマン・トルコの海軍軍人であったピリ・イブン・ハジ・メムド提督が作成したとされる現存する二つの世界地図のうち1513年に作成したものである。
アメリカの古地図研究家アーリントン・マレリーは、この古地図に興味を持ち、詳しく分析を行ってみた。
すると分析を進めるうちにある重要な事実に気が付いたと言われる。


「これは南極大陸の地図ではないか!」

 驚くべきことに地図の南端に見える陸地は、氷に覆われる以前の南極大陸の海岸線を示していたのだ。
 しかも地図の海岸線は、エジプトのカイロ上空から撮影した衛星写真の地形と見事に一致していた。
 この事実は後に、アメリカ・ニューハンプシャー州にあるキーン州立大学の故チャールズ・ハプグッド教授によっても確認されている。
 歴史上南極大陸の発見は19世紀になってからであり、16世紀の人物であるピリ提督が南極を知りえたはずはない。
 ではなぜ彼はこの地図を作製することが出来たのだろうか?
 当時世界帝国であったオスマン・トルコには世界中から貴重な資料が集められ、ピリ提督はエジプトからとり寄せられた古い文献を目にする機会もあったと言われている。
 有史以前、人類が失われた文明を保持していたころの史料を何らかの形でピリ提督は目にしたのではないか。
 彼は地図に「これは昔の地図のコピー」と書き残しており、彼がこの地図の制作にあたって約2,000年前の「マッパ・ムンディス」と呼ばれるアレキサンダー大王の時代の「人間が住むあらゆる世界が示された地図」を参考にしたとも書き残している。

 すなわちこれは古代文明の痕跡を示す貴重な資料なのである。




 ――――――そう考えていた時期が僕にもありました。



 神々の指紋の作者であるグラハム・ハンコックが正距方位図法を用いて説明しようとしているが、それをもってしてもピリ提督の地図はお世辞にも正確なものとはいえない。
 ミステリー雑誌などでは宇宙からの衛星写真とピリ提督の地図の海岸線が一致した、などという記事も目にしたが現実にそんな事実はいっさいない。
 おそらくは原住民などの伝聞情報をもとに作成されたのだろう。
 キューバ島などは明らかに大きさも形も位置も違うし、イスパニョーラ島は左右に長いはずなのに上下に伸びている。
 さらにアンデス山脈は地図よりもずっと海岸よりにある。
 一番誰の目にもつくのは南アメリカ大陸と南極大陸が繋がっていることだ。
 南極が氷に閉ざされる前、南アメリカ大陸と南極大陸は繋がっていた!という無理な主張もあるがレーダー測定によって海の水も氷も無視して測量が可能となった現在ではそんな主張は間違っても通らない。
 現在もっとも有力な説は羊皮紙に地図を描ききれなくなったピリ提督が南アメリカ大陸の南端を無理やり90度まげて強引に一枚の羊皮紙に書きこんだという説である。
 現代と違い羊皮紙は加工も難しい上一度書きこんだら修正もできない。紙と違って量産することも難しく貴重なものでもあった。
 実際に南極であると主張されている海岸線は南極には似ても似つかないが南アメリカ大陸の東海岸には似ているのである。
 いずれにしろこの地図をもって南極大陸の存在を遥か古代の人間が知っていたと主張するのは無理があると判断せざるをえない。



 だがロマンという意味ではなかなかに想像をかき立てられるのも事実である。
 地質学者の説によれば南極にまだ氷がなかった(全くなかったわけではない)のは紀元前13000年から4000年ほどの間であるとされ人類最古の文明と言われるシュメール文明すらも生まれていない時代に
まで遡る。
 こうした超古代の英知はシュメール人から様々な支配者の手を経てアレクサンドリア大図書館に収容されたというのである。
 50万冊を超えたという蔵書のなかに、こうした太古の英知が埋もれていたというわけだ。
 確かに世界七不思議にもあるアレクサンドリアの灯台やロードスの巨人像などが伝えられている形で実在したのであればその英知を信じたくもなるであろう。
 実際のところ管理人はキリスト教が存在せずギリシャ文明が方向性を誤らなければ千年早く人類は現代の科学力を獲得してであろうと考えている。
 ゆえに管理人は失われた古代に想像以上の文明が眠っていた可能性を否定はしない。
 ただ残念なことながらピリ提督の地図はそれを証明する証拠となることはないのだ。